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  • 浅草出身、現在、長野県諏訪在住。かみさんと二人で、ほそぼそと暮らしています。

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2012年3月20日 (火曜日)

父が死ぬまでの思い出が、よみがえりました。

俺が住んでいるアパートは、町はずれの高台に建っている。

アパートの前には、小さな公園がある。

その公園を回りこむと、山の風景を見渡せるビューポイントがある。

いつもそこで写真を撮って、ブログで見てもらっているわけだ。

そのビューポイントの先は、大きな墓地になっている。

半円錐状の斜面に墓地が広がっている。

今日、写真を撮っていたら、墓参りしている人が数人いた。

そういえば、父の墓参りに、何年も行って無いなあと思った。

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父は、2001年9月28日に亡くなった。

死因は、肺がんだ。

からだじゅうにがんが転移して、しまいには声まで失って死んでいった。

アメリカの同時多発テロの年だ。

たまに同時多発テロの映像が、テレビで放送される。

そうすると、俺にとっては、父の死を生々しく思い出されてしまう。

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父の肺がんが見つかったのは、偶然だった。

父は、自転車で出勤途中、交通事故に遭った。

トラックに正面衝突して、顔が変形するほど重傷を負った。

俺は、長野県の諏訪に住んでいるが、山梨県の甲府に勤めていた。

その一方を電話で知らされ、病院にかけつけた。

父は、滅菌室のような所に隔離されていた。

俺は、白衣を着せられ、帽子とマスクをして、入っていった。

父は目をつむっていたが、俺に気がついてくれた。

痛いくせに手をさしだしたので、握ってやった。

力自慢の父なのに、その弱弱しさに泣けた。

父も泣いていた。

父のは、感謝の涙だと思った。

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肺がんが見つかったのは、事故による負傷の検査からだ。

事故による負傷が治っても、肺がんの治療は続いた。

しかし、がんは、どんどん転移していった。

自宅で、長い期間寝たきりになった。

俺は、時々、様子を見に、実家の浅草に帰るようにした。

ある時、トイレに入った時、高い所の棚にタバコを見つけた。

父が吸っているものだろうと思われた。

そっと母に教えた。

しかし、母は、ひとこと、

「だまっていてあげようよ」

と言った。

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父の容体が悪くなり、入院した。

東京のお茶の水にある病院だ。

部屋は、ナースステーションの隣だった。

「やばい患者が入る病室だよね」

弟が言った。

母は、毎日あしげく通った。

弟と妹は、仕事が許せる限り通った。

俺も、遠かったし、忙しかったが、なるべく通った。

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ある時、父が危篤状態になったと、電話を受けた。

夜だったと思う。

俺は、中央道を、スピード違反覚悟で飛ばして、かけつけた。

父は、めをつむって、ぴくりとも動かない状態だった。

母も弟も妹も、すでに父を囲んで立っていた。

俺は、父の手をにぎった。

握り返してこなかった。

一晩中、みんなで父を呼んだ。

外が明るくなってからだ。

父が俺の手を握り返してきた。

「おとうちゃん、おとうちゃん、おとうちゃん」

何度も呼んでみた。

父は、何事も無かったかのように、目を開けた。

みんな、泣きながら、崩れるように座り込んだ。

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客先で仕事をしていた時だった。

弟から電話があった。

「おとうちゃん、死んだよ」

「うそ・・・・・」

「こんなこと、うそつくわけ、ねえだろ」

涙声だった。

俺は、父の死に目にあえなかった。

どうして、実家から遠くへ来てしまったんだろう。

この時ばかりは、自分のした事を恨んだ。

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父と、たった一度だけだが、酒を酌み交わした事がある。

母は、それを見て、何をやってんだかみたいな感じだったが。

いろんな話をした。

父の小さい頃の事とか、母とのなれそめとか。

新婚時代の失敗とか。

父は、母がこつこつ貯めた金を全部つぎこんで、外車を買ってしまった。

その外車で、友達と江の島へドライブに言ったが、故障してスクラップにした。

ドライブには、母は行って無いという、むちゃくちゃをしたのだ。

あと、我が家の家系図を二人で書いた。

これは興味深かった。

わかっている先祖は、越後のげた職人なんだそうだ。

それだからか、父方の親戚は、大工が多い。

それから、祖父の苦労話だ。

祖父は、赤子の頃、囲炉裏に落ちて、右足の先を失っている。

家が貧乏だったので、奉公に出されたり、戦争があったりで、苦労しているのだ。

父と俺は、泣きながら、その話をしていた。

結局夜通し話をして、酒を一升あけた。

良い思い出だ。

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墓参りに行けないのは、金が無いからだ。

お墓は、千葉県にある。

母の郷里だ。

もとは、父の郷里である福島県にあったのだが、遠いので移した。

俺は、双極性障害(躁うつ病)の失業者だ。

生活費ぎりぎりで、金が無い。

でも、なんだか、今年こそは、墓参りに行きたい。

それで、大好きだった、お酒とハイライトを、お供えしよう。

待ってて、おとうちゃん。

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20120101

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昨年12月15日から、オカリナを練習しています。

いっこうに上手になりませんが、楽しんで吹いています。

もっぱら耳コピーして吹いて、ここで聴いていただいています。

今日は、ビートルズの「ノーウェア・マン」を吹きました。

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Nowhere Man
「nowhereman.mp3」をダウンロード

Ocarina

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本文にも書いたとおり、アパートの近くで撮影しました。

今日は、八ヶ岳をパノラマ写真にしてみました。

クリックすると拡大します。

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Yatugatake

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ここでは、俺が大好きなビートルズの曲を紹介しています。

ビートルズの多くの曲は、多くのアーティストによりカバーされ発表されています。

そこで、オリジナルとカバー曲を合わせて紹介しています。

今日は、「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」です。

アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録されています。

数少ない、ドラムスのリンゴ・スターがボーカルをとっている曲です。

カバーしたのは、ジョー・コッカーです。

イギリス出身の歌手です。

ジェニファー・ウォーンズとデュエットした「愛と青春の旅立ち」は、あまりにも有名です。

ふたつ並べますが、まるで違う曲に聴こえるます。

これも、カバー曲のだいご味なのかなあと思います。

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JOE COCKER
With A Little Help From My Friends

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THE BEATLES
With A Little Help From My Friends

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コメント

オイラは親不孝な息子です
父ちゃんが入っていた施設から電話が来て
「さっき、お父さんが亡くなられました」 と、言われても
それ程、衝撃を受けませんでした。

あれから一年半、最近やっと父ちゃんの事を想うようになりました。
思い返すと、今ごろになって悲しさで ボロボロと涙が出てきます。

今さらながら もう一度会って くだらない話とか してみたいです。
そう考えるだけで 悲しくなってきます

ワカメパパさん、コメント、ありがとう。
だからこそ、
お互い、父親との思い出を忘れないようにしましょう。
それが、今でもできる親孝行だと思います。

自分も親不孝しております。
まあこれも人生な`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!のかな?

私は父は健在ですが、母を2002年に亡くしました。死に目には立ち会えましたが、心臓の手術終了の12時間後に麻酔が切れないままそのままでしたので、術前の会話くらいしかできませんでした。


幸い今住んでいるところと実家、お墓が近いので月に二度くらいはお墓参りに行ってます。何か面倒ばかりかけて親孝行出来なかったので申し訳なくて…。

みのちゃん、墓参り行けたらいいですね。
親が生きてるうちに親孝行できた、と思う人はどのくらいいるんでしょうかね~
やつぱり・・・私も、親孝行できなかったよ・・・(T_T)

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