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ABOUT ME

  • 浅草出身、現在、長野県諏訪在住。かみさんと二人で、ほそぼそと暮らしています。

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2012年4月 1日 (日曜日)

俺が、双極性障害(躁うつ病)になったのは、助けを求めなかったからです。

あの時、こうしておけば良かった、なんて事が、誰にでもあると思う。

俺にもある。

俺が病気になった理由が、それだ。

俺は、双極性障害(躁うつ病)のラピッド・サイクラーだ。

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俺は、2005年に、ある会社に入った。

それまでにいた会社では、営業技術部長として働いていた。

だが、社長が新事業をする為、多額の借金をし、会社が成り立たなくなってきていた。

給料が、何日も遅れて、それでも払えるかどうかというような状態だった。

仕事はあったのだ。

しかし、俺は、あいそをつかし、会社を辞めた。

入った会社は、俺が以前世話になっていた会社だった。

俺は、31歳の時、神奈川県の茅ケ崎に勤めていた会社を辞めた。

60歳近い先輩が、自分の会社を興したいと言うので、長野県諏訪までついてきたのだ。

諏訪には、先輩の別荘があって、そこが職場になった。

その時、外注機械設計として世話になったのが、ある会社だ。

まだ起業したばかりで、売り物の機械や装置は、俺一人で設計した。

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ある会社に社員として入った時、従業員が60人程度と大きくなっていた。

起業当時から知っている人はもちろんいたし、、でも知らない人が多かった。

しかし、俺の事は知っているようで、多くの人に尊敬の念をもって迎えられた。

ある時、大きな仕事をまかされた。

国家プロジェクトのプラントの一角の装置だ。

お国があって、その下に有名な大きい会社が入って、その下に俺だ。

その仕事のプロジェクトリーダーになった。

機械設計は、また下請けの、これまた有名企業の設計部門に頼んでいた。

その途中からまかされたのだ。

その設計部門が、これまた下請けで、中国に設計をさせていた。

俺は、技術的なサポートを主に行っていた。

やる事は、たくさんあった。

設計図面を提出しても、修正以来の嵐である。

技術計算をして、計算書を提出する。

図面の提出期限を切られるから、間に合わないと、自分でやった。

提出書類もたまっていく。

深夜まで仕事はざらで、何度か徹夜した。

土日の休日なんて、休めない。

そんな状態が、何カ月も続いた。

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ある日から、夜、眠れなくなった。

眠れないまま、出勤する事もあった。

出勤途中、気分が悪くなって、会社にいけない事があった。

会社に電話して休む事があった。

そういうことが多くなってきた。

これではいけないと思い、病院に行った。

よく効く睡眠薬を処方してもらおうと思ったのだ。

内科を受診した。

採血をした。

眠れない成分は検出されなかった。

心療科の受診をすすめられた。

心療科に行き、受診した。

いろいろと質問をされた。

最後に、

「死にたいと思った事はあるか?」

と、訊かれた。

「ある」

と、正直に答えた。

それで、うつ病と診断され、安静に自宅療養を命じられた。

しかし、2か月ほどで、会社に呼ばれた。

手が足りないから来い、と言う。

数か月働いていたら、また、眠れなくなった。

心療科では、躁転してるから、双極性障害だと診断された。

そして、また、自宅療養を命じられた。

数か月で、また会社に呼ばれたので、仕事に復帰いた。

でも、体調がすぐれず、休みがちだった。

会社としては、俺の病気は、会社の仕事のせいだと認めてくれていた。

俺としては、それでも、会社や同僚に申し訳ない気持ちでいた。

それで、会社を辞める事を決断し、辞めたのだ。

社長は、ずいぶんひきとめてくれたが、俺の決意は固かった。

製造部長や総務課長も、ひきとめてくれた。

それで、満足だった。

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俺は、仕事を抱え込む悪い癖がある。

なんでも、一人でこなそうとする。

若いころから、先輩や上司に注意されていた事だ。

自分のキャパシティを超えたら、まわりの同僚に助けを求めるべきなのだ。

まかされた仕事をしなければという責任感。

自分ならできるという過信。

迷惑をかけてはいけないという遠慮。

これらが邪魔をして、助けを求められない。

従って、自分に無理を強いてしまう。

そして、病気になって、結局は、同僚がフォローしなければなくなる。

もちろん、助けを求めようと思った事があった。

ただ、とても忙しい時期で、やはり気が引けたのだ。

あの時、こうしていれば、というのは、それでも、助けを求めていれば、だ。

設計部長にでも相談していれば、俺は病気にならなかっただろう。

今更、後悔しても、はじまらない。

もし、どこかに就職できたなら、肝に銘じておこうと思う。

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20120101

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オカリナを、もっぱら耳コピーで、練習しております。

今日は、松任谷由美の「春よ来い」を吹いてみました。

東京では、桜が開花したそうですね。

でも、長野県諏訪は、最低気温が零下の毎日です。

うちのアパートの前の桜は、まだ枯れ木状態。

桜の花の咲くのが待ち遠しいです。

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春よ来い
「haruyokoi.mp3」をダウンロード

Ocarina

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今日は、なかなか天気が良いです。

そこで、アパートをでて、てくてく歩いて、山の写真を撮りました。

八ヶ岳の写真を、数枚撮って、パノラマ加工しました。

雲の様子が、良い感じです。

クリックすると、拡大して見られます。

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八ヶ岳連峰
Yatsugatake

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南アルプス連峰
P1000009

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アパートの廊下の窓から見た南アルプス連峰
P1000001

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ここでは、俺が大好きなビートルズの曲を紹介します。

また、そのカバー曲も合わせて紹介します。

今日とりあげる曲は、「ヘルター・スケルター」です。

アルバム「ザ・ビートルズ」通称「ホワイト・アルバム」に収録されています。

ポール・マッカートニーの作品です。

なるべく騒がしくというコンセプトで作られたそうです。

たしかに、ビートルズで一番騒がしい、ハード・ロックとも言えるような作品です。

カバーしたのは、パット・ベネターです。

1970年代後半から活躍したアメリカのロック・シンガーです。

グラミー賞を4回も受賞した実力派の歌手です。

俺の青春時代に活躍していたので、懐かしいです。

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THE BEATLES
Helter Skelter

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PAT BENATAR
Helter Skelter

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それから、ついでに、パット・ベネターで、俺が大好きな曲を。

画像も音声もクォリティが高いライブ動画がありました。

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PAT BENATAR
Heartbreaker

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コメント

みのさん、いつも楽しみによませていただいています。
私も双極性障害です(ラピッドサイクラーではありませんが)
今日のお話、発症のきっかけが私と非常に似ていたのでやっぱりそうなんだなあ、と思いました。私も仕事に没頭して、何日も徹夜の日々を繰り返し、気づいたら、死にたい、とか
生きている心地がしない、など、人生を突っ走ってきた自分では信じられない症状から始まりました。
鬱病として治療されていましたが、全く良くならず、何件か医者を変わったあげく、良い医者に恵まれて、双極性障害と診断されて、今は、同じです、同じ過ちを二度と犯さないように、と自分に言い聞かせながら、なんとか薬を続けて生きています。
入院もしました。
人生かなり変わってしまいました。病気のせいにしたくないけど、病気のせいかな、と悔しく思ったり、でも確かに自分の本来もっている気質のせいなのでしょうね、、、
悔しいことは振り返らず、私もみのさんのように前向きにもう少し生きてみたいと思います。これからもたのしみにしています。

みのさんふぁんさん、コメント、ありがとう。
なんか、ハンドルネームで照れてしまいます。
でも、読んでくださって、ありがとうございます。
まじめなんですね、そして、頑固なんです。
おたがいに。
この病気は、一生治らないと、医師に言われました。
だから、一生つきあっていこうと覚悟を決めました。
でも、悲観はしません。
上手につきあって、薬で抑えながら、生きていこうと思います。
みのさんふぁんさんも、どうか、お大事にしてください。

初めてコメントします。
私もみのさんやみのさんふぁんさんと同じような経過をたどりました。
一生懸命仕事して。。。眠れなくなって。。。。いつも頭痛して。。。。
そんな毎日でした。
双極性障害は治らないかもしれないけど、今より明日が少しでもましならそれで良し、と思おうとしています。
それでも波に翻弄されちゃいますけどね。
これからも読ませていただきます。
よろしくお願いします。

みなみさん、コメント、ありがとう。
同じなんですねえ、まじめなんだなあ。
手を抜けないっていうか。
今日より明日が良ければという考えは、
希望を感じますね。
参考になります、ありがとう。
こちらこそ、これからも、
よろしくお願いします。

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